私が素質研究会國貞幸司事務所の所長です!


by fillheart

DNA鑑定の過信が生んだ冤罪

今日、足利事件の犯人とされた菅家さんが、逮捕から17年半ぶりに釈放されたという記事を目にしました。
釈放された理由は、殺された女児の服に付いていた体液のDNAと菅家さんのDNAが、
再鑑定の結果、一致しなかったからだそうです。
有罪の決め手になったDNAが否定されたことにより、無罪がほぼ確定したとのこと。
17年半も罪も無い人を刑務所に入れていたとしたら、これはとんでもないことです。



DNA鑑定というのはかなり精度が高いものなのかと思ったら、そうでもなかったみたいで、
事件当時の1990年に行われたDNA鑑定の精度はかなり低く、800人に1人だったそうです。
この事件の舞台となった足利市の人口は約16万人。
もしDNAの型のみが証拠だったとすれば、実に200人の容疑者がいたわけです。
これぐらいの精度では、菅家さんがたまたま一致したということも十分にあり得るでしょう。
ちなみに、今回釈放する決め手になったDNA鑑定の精度は4兆人に1人だそうです。
この精度であれば、地球の人口をはるかに超えるので、偶然の一致はまず無さそうです。

この記事が気になったのは、素質論にも通ずるところがあるからです。
CANCODEもいわば心のDNAで、高い精度を誇っています。
しかし、その精度に頼り切ってしまうと、素質論でも今回のような冤罪を引き起こし、
豊かな人間関係を築くことができる素質論で、人を傷つけてしまうことがあります。

素質論を知って間もない頃は、素質で人を語ってしまったり、
相手を素質で決めつけて対応したりすることを多かれ少なかれ誰しも経験しています。
しかし、素質論から導き出されるのは、その人が先天的に持っている情報だけです。
環境や経験によって獲得していった後天的な情報は含まれていません。
だから、素質論を勉強すればするほど、
素質で人を判断したり、決めつけたり、当てはめたりすることができなくなっていきますし、
CANCODEの読み込みが深くなればなるほど、
人の素質は十人十色、百人百色であることを実感します。

人間はいわば立体のジグソーパズルのようなものです。
数多くのピースが組み合わさって、人という存在はできています。
その中の一つのピースを取り出して、その人を語ることなんて到底できません。
素質論の高い精度を過信すると、自分が見えるピースだけで判断して、
その人を理解した気になってしまいます。そのことが一番怖いことです。
その人自身がどんなピースを持っているのか、ありのままの姿を見て受け入れる。
素質論の原点はそんなところにあるのかもしれませんね。
by fillheart | 2009-06-06 03:54 | 素質論コラム